かすみ荘 - 雑文:受動的な幸せ
[もどりゅ]

029. 【受動的な幸せ】 (2001.03.07)



・幸せは自分の手で掴むもの、という事が通説ではあるのだが、御伽噺や童話を見ると、貧しい子供は自動的に幸せになるみたいだ。もちろん、貧しくても兄弟助け合ったり、他人の為に働いたり、いわゆる善良なやさしい人間は幸せになるというハッピーエンド形式なのだから当然ではあるが、これ、といった苦労をしないで幸せになる主人公がけっこういる様だ。確かに、童話などが作られた頃は、生まれて来た時点で貧乏という人が多かったに違いない。だから、話だけでも幸せに作って、かつがんばろうという心意気が持てるようにしていたのかも知れない。

・なーんかいい事ないかなぁ。と人に聞く行為を、かすみは受動的な幸せ探しと名づけている。実に人任せな幸せ探しではあるのだが、大概返事は無いであり、こうやってのらくらと探している限り、幸せは歩いて来ない様である。

・といっても、幸せを捜し歩いている訳ではない。チルチルミチルや花の子ルンルンでもあるまいし、探し物の旅に出てまで探そうとは思っていない。能動的な幸せは、意識さえすればいつでも手に入るのであり、降って来るとも言われる受動的な幸せは、思いがけなく手に入る為、とてつもなく嬉しく感じてしまう。

・だから何となく聞いてしまうのだ。何か良い事ないですか、と。聞かれる方は困るんだろうけれど、もしかすると百回に一回くらいは「あるよ」と言って、貰えるかも知れない。だから今日も聞くのだ。ただ、ちょっと思うのだけど、聞く事事態が能動になるのでは、と。

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