かすみ荘 - 雑文:優先席で嘘をついた
[もどりゅ]

035. 【優先席で嘘をついた】 (2001.03.15)



・その日は本当に具合が悪かった。前日から水分以外の物が喉を通らず、吐いてしまったりしていた。にもかかわらず、異常な程テンションが高く、一見すると機嫌の良い様に見えた、らしい。

・その日中にやらなければいけない仕事を終わらせて、ふらふらと帰宅する。バスに乗って優先席に座り、深くため息をつき、マク〇ナルドのテイクアウト品を持った人が乗って来ない様に祈った。健康な時でもあれがバスの中にあると車酔いになってしまうかすみなのだ。今日、あれを持ち込まれたら、車内で大変な事になってしまう。

「ちょっと、お嬢さん」

・ぼけーっと下を向いていると初老の男性が誰かに声をかけている。お嬢さんとはまた上品な声のかけ方だな、通常会話で使用するのはみのもんたんだけど、と思っていると、ぽんぽんと肩を叩かれ「お嬢さん」って、かすみかい。

「お嬢さん、目の前にお年寄りが立っているんだから席を譲ってあげなさい」

・気が付かなかったけれど、確かにおばあさんが立っていた。かすみの頭が鈍く回転した。おばあさんに席を譲る為にはかすみが立たねばならない。元気が良ければ立つけれど、今日はやばい、そのまま倒れちゃうかも知れない。でも、この男性はかすみが健康な若者と思って声をかけた、つまり席を譲れると認識して声をかけたのだ。気持ち悪いといっても信じてもらえないかも知れない。

・返事に窮したかすみはとっさにこう言ってしまった。

「妊娠してるんですぅ。4ヶ月なんですぅ。逆子で今日、病院の帰りなんですぅ」

・これなら男性の面目も立つし、譲らなくても済むと思ったのである。あるが、男性は嫌な顔をした。おばあさんは「そうなの、大事にしてね」とかすみの良心が痛む様なやさしい言葉をかけてくれたのだが、彼は納得出来なかった様である。

「女性は子供を産む様に出来ているんだから、大丈夫だ」

・などと言ってかすみの手をひっぱったのである。バスはすでに発進していたので、かすみはそのままバスの床にへたり込んでしまった。

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

・吐いてはいない。と、いうか、何も戻すものは無い。ただ大きく鳴咽を上げただけであるが、車内にやばい沈黙を広げるには充分であった。「お客さん、大丈夫ですか?」と聞く運転手さんに「大丈夫です」と答えるかすみ。このままでは余りにも恥かしすぎる。人の手を引っ張っておきながらおろおろする男性。よろよろと座席に戻り、降りるバス停に付くまで「大丈夫です」と呪文の様に繰り返し、行きがかり上、自宅の近くの病院の入口まで知らないおばさんに送ってもらってしまったのでした。病院はそのまま中を抜けてクリアし、なんとか家に辿り着いた後、その後、男性はどうなったのか、おばあさんは席に座れたのか、あのバスに知っている人は乗っていなかったのか、などと考えつつ、寝ました。

・その後、近所でかすみの妊娠のうわさは無かったので、運良く知っている人は乗ってなかったんだな、と思いましたが、つぶしのきかないいい訳はやばいという事を学習しました。今はよさげなとっさのいい訳を考えている最中です。

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