かすみ荘 - 雑文:とうなす屋でござい
[もどりゅ]

108. 【とうなす屋でござい】 (2001.08.07)



○東瓜と書けばトウガンと読み、西瓜と書けばスイカと読み、北瓜と書けばペイグァと読み、南瓜と書けばかぼちゃと読む。トウガンは冬瓜ではないかと突っ込まれた貴方、貴方の意見は正しいのです。ですが、東瓜とも書くのです、ええ、書くのです。漢詩にも使われてしまうくらいなのです。うみゅみゅう。

○あちきはこの瓜っつーものがあまし好きではないのです。メロン以外の瓜植物は好きではないのです。メロンも瓜っぽい味のは嫌いなのです。白いやつとか、緑のやつのあまし甘くないのは瓜っぽいのでいけません、いけません。←我侭

〇そんな訳で、こう毎日南瓜を出されては身体窮まるのです。進退窮まるのではありません、体がピンチなのです。身体が困窮してしまうのです。しかも、あちきの家のルールでは作って頂いている側は文句を言わずに一通り食べろ(納豆、くさやなど特殊な香りのあるもの、辛さについていないものなどは除く)なのです。なのでいただかなくてはいけません。

○我が家の南瓜は甘く煮付けます。南瓜のみで煮ますです。友達の家では挽肉と一緒にしょっぱめに味付けするそうです。いいなぁ、挽肉、ちょっと味が誤魔化せそうだ。←悪辣思考。しかも、南瓜の皮は固めにするのが好きなのです。ほこほこ、ぼそぼそです。青臭い皮の匂いにあちきは打ちのめされるのです。

○南瓜は野菜なのですから、甘くなるというのは変だとあちきの脳が勝手に判断するのです。んなもんで不味いと思っているというより、これは違うだろ、と思っているらしい。甘いといっても果物の甘さ、いわゆる果糖とも違う訳ですし。それに異様なコクがある。まったりとしてもったりと。うわぁぁぁぁぁ。まーずーいー。

○もちろん、あちきの言っている事は我侭ですとも、ええ。世の中の人間を南瓜が好き、若しくはどちらでもまでの人と、いやん、嫌いぃという人に分けたらあちき側の人は少ないのです、多分。調べた訳ではありませんけれど、人と食事をしていてヤツが出てもほとんどの人がぽくぽくと食べている様子ですからね。

○とはいえ、とにかくあちきの夕餉の食卓にヤツが幅を効かせているのはいけません。小生意気にも偉そうな皿に盛られやがって。うきぃ。しかしながらいくら連続して出ているとはいえ食べなくてはいけません。食べられないものでは無いのです。食べられるのです。嫌いなだけなのです。

〇もったらもったらとリスかハムスターの様にほっぺたに貯めてから少しずつ食べていると、「そんな事すると余計に食べにくくなるでしょう」と母。そりはわかっているのだが、体が南瓜をさくさく食べようとする事を拒否しているのよぉ。「もう南瓜を煮たやつは嫌なのです。パンプキンパイは好きなのです。私がパイにするのでもう南瓜攻撃は止めて下さい」まだまだ台所に転がっている南瓜を眺め、あちきはこう宣言した。

〇が、翌日帰宅すると、ヤツは変化していた。確かに南瓜煮は嫌だと言った、言ったが、スープにする事無いやんかっ。冷たいスープという母の主張の割には生温か〜いだし、どう考えても南瓜の裏ごしをほんの少しの牛乳で伸ばした様な感じだし、しかも我が家にはフードカッターとかミキサーが無いので裏ごしともなると振るいが使われるはずなのだが、あちきの母はのんき者で横着者(横着についてはあちきの方がさらに上だ)なのでボールの中の茹でた南瓜を木ベラで潰しただけという代物で、濃いとかそういう問題じゃなくて、固形物を力技で液体としているのです。気に入らなければ食べなきゃ良いでしょ、とか、自分で作れば良いでしょ、という理屈は我が家では通用しないのです。何故なら同じ時間に食事をする者は同じ物(辛い物、特殊な物を除く)を食べるべし、という暗黙の決まりがある上に、あちきの作るいんちき料理は母の神経に悪いらしいのだ。自分が食べるだけだからという理屈も通用しないのだ。しくしく。

○この大量にある南瓜スープ。どうすれば良いのであろうか。これをおかずに飯を食え、とは如何様にすれば出来るのであろうか。目の前には米の飯(ありがたや)、漬物(日本人の心なり)、南瓜スープ。どろどろのもったり甘いスープを啜りながら、そこにご飯を投入せよ、とでもいうのであろうか。そんなの嫌じゃぁぁぁぁぁ。しかもまだまだ鍋一杯半あまっているし。何で二鍋分も作るかなぁ。しくしく。

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ペイグァ補足(蛇足?):北華原産の瓜。中国北部原産って事ですな。瓜は東西南北揃っているのだ。 

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