かすみ荘 - 雑文:こんにちわ、あかちゃ〜む3
[もどりゅ]

290. 【天井を見つめて】 (2005.06.09)
○どれくらいの時間が経ったのであろうか。あちきのいる手術室の入り口のランプは、赤く点灯しているに違いない。違いないが、ストレッチャーで運び込まれたので、手術中のランプを見ることは出来なかった。もしかすると、ランプなどないかも知れない。しかし、あちきの脳内では、手術室の前の光景が展開されていたのだ。

○手術室の前の長椅子に、座る夫の人の手は、胸の前でかたく組み合わさっており、あちきと子供の無事を必死に祈っている。心なしか体がふるえ、唇はかさかさに乾いている。その唇からは、声にならない声が発せられている。「僕の命が半分になってもいいから、美しく聡明で可愛らしい妻を救って下さい」と。そこに、あちきの両親と妹が、早足で登場する。額には、夏の暑さのせいか、心配からか、汗がうっすらとにじみ出ている。父が祈る。「私の命が半分になってもいいから、美しく聡明で可愛らしい娘の命を救って下さい」。母が、妹が、美しくて聡明で可愛らしく、チャーミングでモダンガールで粋でいなせなあちきの為に祈っているのだ。

○・・・・・・。ぇぇと、嘘です。などという妄想を考えている余裕は全く無かったのですよ、ええ、ええ。だって、あちきのお腹が切られているのですぜ?神のお導きによって、麻酔はしっかり効いており、痛くは無いものの、あちきに全く見えないところで、やりたい放題やられているのですから、あちきによる、あちきのための、あちき大好き、激ラヴあちき、なあちきとしては、おにょれ意外の事なんぞ、考えてもいませんでしたよ、はっはっは。正直、手術の原因である、自分の子供の事すら考えてませんでしたね、はっはっは。だって、自分に何かあったら困ります。まだまだ、生きてやりたいことがあるのです。買っただけで放置してあるプレステのゲームソフトとか、買ったけれど読んでいない本とか、ネットゲームキャラの今月中育成とか<入院するので無理です。

○欲望の列車に乗っているあちきに、赤ちゃんは大丈夫、ちゃんと助けてあげますからね、と励ましてくれる看護婦さんの言葉は聞こえてはいるものの、ねぇねぇ、あちきは?という疑問につながっていく。頭の向きを固定されたせいで、手術室に入ったときには見られた時計が見えず、どれだけの時間が経過したのかわからず嫌な気分になっていく。・・・・・・。ぇぇと、今思うに、自己愛の強いあちきは人間失格ですか?

○ところで、手術といえば、「鉗子」とか「メス」とかの専門用語が飛び交うと思っていたのだが、先生は黙ってあちきのお腹をのぞき込んでいる。リアルな手術音が聞こえるかとも思ったのだけれど、耳を澄ましても夕ご飯が食べられなくなる様な音も聞こえてこない。たま〜に、ここ、押さえておいて、とかいう言葉が聞こえるのです、が、って、何処を押さえるつもりデスか?あちきのお腹の外ですか?中ですか?中だったら、ちょっといやんいやん。

○「手を入れるから、ぎゅってなりますよ〜」「ゆっくり深呼吸していてね」「気を楽にしててね」って、どんなフラグ立っているのですか?出産帝王切開ルートのフラグっ!手を何処に入れるのですか?ぃぁ、聞くまでも無いでしょう。そう、きっとあちきのお腹の中の、中に。中の人が入っている臓器の中に・・・。気を楽にって、ああ、ああ、するさ、しますともさ、しないと嫌すぎですよ。
・・・・・・・・・・・・。ぎゅう。げぶふぉぉ!気持ち悪ぅぃ・・・。
ぎゅじゃねいじゃねいですか?!ぎゅうぐりゅぐりゅじゃねいですか?

○大変嫌なぎゅうが終了すると、何やら奇抜な音声が聞こえてきた。生まれてこの方聞いた事もない奇抜な音声。って、もしかして赤ちゃんの泣き声ですか?納得がいきません、ほんげぇほんげぇというイメージを持っていたのに、もんげべぼぇもんげべぼぇって感じではありませんか。あー、ありだ、きっとあちきの赤さんじゃないね。人様の赤さんだねって、あちき以外の妊婦は手術室にいないではありませんか。がびょーん。

○「さ、赤ちゃんですよ〜。元気な男の子ですよ〜。はい、ママですよ〜。握手しましょ〜、はい、指を握ってあげてね〜」指ちっちゃいんですけど?握ったら折れませんか?それ以前に極度の近視なので赤ちゃんの顔がわかりません・・・。ええと、宇宙人?宇宙人に見えますけど・・・。「じゃあママはこれからお腹を閉じるから、僕はパパと会うのに新生児室に行きましょうね〜。ばいば〜い」ぁぅ、ママはお腹を閉じるからって、随分とリアルな話じゃのぉ。というか、パパと会うのに新生児室って、夫の人は手術室の前でぐるぐるしてないのですか?えー、手術室の前でぐるぐるしないとそれっぽくないぽ。というか、のんきに握手させられている間も、あちきのおにゃかは解剖中のカエルさん状態ですか?・・・・・・。ごふぉっ!やばいです、気分が悪くなってきました。負けないぞ〜。しくしくしくしく。

○天井のライトが宇宙船みたいなら、生んだ赤ちゃんが宇宙人でもおかしくはねいですな。うんうん。などと一生懸命お腹から気持ちをそらしていると、「クリップで留めますからね〜」とやたらと明るい先生の声。ク、クリップって?ゼムクリップみたいなものですか?色々考えていると、バチンバチンと金属音がっ!きぃーやぁー!いったい何がどうなってい〜る〜の〜?

○「終わりましたよ」と言われた時は、ああ、赤ちゃんを取り出すまでより、お腹を閉じる方が時間がかかるんだなぁと時計を眺めていたり。最早、全てお任せ状態です。そして、感動の夫の人との再開の為に手術室をストレッチャーのまま出ても、夫の人はいません。ごろごろと天井を見ながら移動。ごろごろ。エレベータでごんごん移動。ごんごん。看護婦さんや患者さんの間をごろごろと移動。ごろごろ。体、特に頭を動かさないでと言われて、丸太ん棒の様にベッドにぴょいっと移動させてもらう。ぴょいっ。点滴を色々点検されて、何やらあれこれチェックされて、やっと病室に置いて行かれるあちき。もにょ?ここ大部屋みたい。出産の患者さんは2名までの部屋に入るって聞いていたけど。

○「元気?大丈夫?赤ちゃん見たよ〜、元気だったよ〜」と明るく入って来る夫の人。「宇宙人みたいだた。じゃなかったら猿」「え〜、可愛かったよ〜」夫の人には人類に見えていたらしい。もむ〜、母親のあちきが宇宙人か猿だと思っているのに。「喉乾いたぽ。イチゴにゅうにゅう買って来てくらさい」「イチゴ牛乳?手術の後だから、飲食禁止だよ」がびょーん。「の、喉がからからなのれす。イチゴにゅうにゅう位でぇじょうびです」「駄目です。僕は過去に数々の手術を受けていますが、手術後にガスが出ないと飲食は禁止です」「むぉお!夫として愛していないのですか?のどが渇いて死んでしまいます」「点滴していれば死にません。夫として愛しているので体に悪い事はさせません」「みょ、だってあちきず〜っと何も食べられなくなっちゃうよ」「何で?」「あちきアイドルだもん。ガスなんて出ないもん」「・・・・・・。飢えて死ね」

○そんなおされな会話をかわしているうちは良かったのだ。まさか、麻酔が切れるとあれほどの激痛が襲って来るとは想像もしていなかったのだ。喘息のあちきには4時間おきの痛み止めしか使えないという事も、自分がいる病室が通常の病室ではなく、手術後の経過を見る為のHCUである事も、下半身を動かす事は二日間も完全に不可能で出産用おむつのようなものを看護婦さんにかえてもらわないといけない事も、ガス出たと嘘をついてご飯を食べて浮腫が出てしまい点滴を1日5本増やされる事も、塩分の無い食事に変えられる事も、動き回りすぎて貧血になりさらに点滴を1日2本増やされる事も、まだこの時点では予想だに出来ていなかったのだ。恐ろしい・・・。って自業自得ですよ、あちき。

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