かすみ荘 - 父とわたくし:歌え、平林。
[もどりゅ]

ACT055:父と寄席(2002.02.09)


◇断腸の思いという言葉がある。腸(はらわた)が断たれる程の痛み、わが身を削る激しい痛みと中学校の頃に習った。つい最近では某拒人の若大将監督が、頼れる選手の退団のコメントを求められ「断腸的な部分はあるんだけど…」などと言って記者の皆様を唖然とさせたそうですが、父もこの度断腸の思いをいたす事になったのです。

◇寄席、というのは噺を聞く場所、噺を公演する所です。この噺というのは噺家さんが話す噺で、落とし噺、人情噺、色噺、怪談噺などがございます。もっとも有名なのが落とし噺。いわゆる落語です。何故お笑いの話しが落語というかというと、最後に落とすからですね。笑いを引き出すために落とす、落ちをつける。その為、笑いの噺を落語と言います。ので、落語家という言葉がありますが、ちょっと活用が間違っています。その人が落とし噺しかしないというのであれば、それで構わないのですが、他の噺を演じるというのであれば噺家さんと呼ぶのが正解です。という訳で生きていくうえで全く役に立たない落語豆知識でした。

◇さて、いったい何が父にとって断腸の思いであったかというと、市で主催している寄席のチケットを取ったのだけれど、会議の日程あわせをした所、自分以外、寄席のある日が都合が良いという事が判明したのである。自分さえ我慢すれば会議の日程は滞りなく決まる、が、父としてはわざわざ応募して手に入れた寄席のチケットを無駄にするのは忍びない。我が家で寄席に行くのは両親とかすみだけので、必然的にチケットはかすみに廻って来た。

◇「折角お母さんと行こうと思ってたのになぁ」と言いながらチラシを持って来る父。「談志だぞ、ああ、行きたかったなぁ」「談志?んじゃ行かない」「何でだ?談志は面白いじゃないか」「嫌いだもん」「騙されたと思って行ってみろ」「嫌です。立川師匠の高座は見ない事にしているのです」

◇しばし、父と娘の攻防戦が繰り広げられる。どうしても無駄にしたくないという父に、もしかして寝てしまった上に会場から追い出されても可、という条件をつけて行く事になったかすみ。当日は平日なので仕事が残業と言って母だけを行かせるという手もあるのだが、後でぐちぐちと言われるのは嫌だし、母が会場を探して迷子になってしまうの事なので諦める。

◇憮然としているかすみに父が「平林(ひらばやし)を歌ってあげるからさ。などと提案する。「いいよ、私も歌えるし」「無理だろう」「歌えるって」「じゃあ歌ってみろよ」「いいよ。たーいらばやしか、ひらりんか、一八十のもぅくもく、一つと八つで十っ木っ木ー」「中々出来るな。じゃああれは言えるか?家は総体ヒノキ造りでございます」「畳は備後の五分縁でございます。天井は薩摩の鵜面木でございます」「左右の壁は砂ずりでございます。庭石は御影石でございます」「家は総体へのき造りでございます。畳は貧乏でぼろぼろでございます」「天井はサツマイモのうずら豆でございます」「左平のかかぁはおひきずりでござます」「庭石は見掛け倒しでございます」親子揃ってバカな事をやっていると母が「もう良いから。ケーキあるから食べなさい」と仲裁に入ってくれた。良かった、良かった。このまま小言幸兵衛やかけとりまで話しが進んだらどうしようかと思っていたのだけれど。

◇「とにかくな、一回聞いたら感動するから」ケーキを食べつつしつこく勧める父。嫌いなものは嫌い、と自分では言うくせに、人のそれは認めてくれない。いつもこうだ。そしてケーキを食べながら歌いだす父。
 「たーいら林かひらりんか」もういいってば。

◇結局、父は行くと返事をするまで平林を歌う、と言い本当に歌いだした。朗々と高らかに、でも、歌の内容は平林。いつまでも平林。延々平林。ずっと後ろに着いて来て平林。かすみはギブアップしました。

教訓:しつこくする親にはとりあえず従った方が良いかも知れない。


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